『言語学と植民地主義 ことば喰い小論』(ルイ=ジャン・カルヴェ 2006)第1章を読んで

書記担当のももこです(#^^#) 

今回は言語研究の背後にはどんなイデオロギーや人々の考えがあるのかを学びました。その中で、教師を目指す私たち自身がどのように言語と向き合っていかなくてはならないのかについて議論しました。 

かつて強い力を持っていた国は、他の国に自分たちの言語や文化を押し付けていたという歴史があります。支配する側の国の人々には自分たちの優れた言語、を劣っている国の人々に「教えてあげる」という気持ちが働いていたと考えられます。被支配国の人々にしてみれば、強大な力で言語や文化を押し付けられてしまえば受け入れざるを得なかったとも考えられます。しかし受け入れた市民側にも問題・責任があるのではないかという話になりました。 

また支配国の人々は自分たちの言語は絶対的に正しいという前提に基づいて、自分たちの言語の優越性を説いてきました。言語の正しさとは、その国が正しい体系をもっている、正当な国であるということの証明のようなものと考えられていました。その点で、言語の正しさは、その時代の人々にとって重要なことでした。しかし現代の英語教育の場面では、英語という言語の正しさ、つまり正解にたどり着けなかった子どもが授業から排除されてしまっているという現実があります。そうした現実を考慮し、英語の授業では言語の「正しさ」にどう向き合うべきかを考えました。 

今回の議論で問題になったことを考えていく上で、世界史に関する知識や、言語の構造そのものに関することなど、まだまだ勉強しなくてはならないことが沢山あると痛感しました。何か質問やご意見があればよろしくお願いします。   

ことばと文化の学びの場~これからの英語教育のために~

コミュニケーション、ことば、文化、社会、そして教育。 英語科教育が抱えるさまざまな問題について考える、 岐大の仲 潔(なか・きよし)とそのゼミ生による発信の場です。

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